【ロックダウン】外出制限の状況の変化をまとめてみる~フランスで8週間の幽閉生活~【COVID-19】

2020-10-05

フランスではフィリップ首相が率いる内閣が総辞職し、マクロン大統領がカステックス氏を新たな首相に任命したと報じられました。3月15日、及び(3月22日から延期されて)6月28日に行われた統一地方選挙で与党が敗北したことによるものみたいです。

その後、新内閣の発表もありましたが、主要な閣僚は続投となったようで、新鮮味に欠けるとの声も出ているようです。個人的には男女同数が指名されたという部分に日本との違いを感じました。

さて、今日はフランスでのCOVID-19の急速な流行と外出制限の導入、そしてその解除の経緯を簡単にまとめていきたいと思います。かなり長めの記事になってしまいそうですが、最後まで読んでもらえるとうれしいです。

急速に悪化していった事態~外出制限までの流れ~

外出制限が導入される頃までの経緯はこのブログの一番最初の記事でも記しました。1月末頃に最初の感染者が確認され、中国やシンガポール、イタリアなど先に感染が拡大していた地域を仕事やバカンスで訪れていた人から感染が拡大していきました。最初にマクロン大統領による演説が行われたのは3月12日で、その時点では2876人の感染と61人の死亡が確認されていました。マクロン大統領はこの時点で70歳以上の高齢者など、より高いリスクを持っている人に可能な限り自宅待機を求めたほか、3月16日以降指示があるまで、全ての教育機関を閉鎖することを発表しました。

France24より、3月12日のマクロン大統領の演説

また、3月14日の夜にはフィリップ首相(当時)の会見の中で、「国民の生活にとって不可欠ではない」全ての場所(カフェ、レストラン、映画館や商店(スーパーやパン屋、薬局などを除く)を3月15日0時より閉鎖することを発表しました。実施の4時間ほど前に突如行われた発表によって、フランス中が混乱に陥りました。

3月14日のフィリップ首相の会見

そして、3月16日には再びマクロン大統領による演説が行われました。見えない敵との「戦争状態」であるというメッセージを連発し、翌日正午より全土で15日間の移動制限(外出制限)をする他、30日間の国境閉鎖と3月22日に予定されていた統一地方選挙の2回目の投票の延期を発表しました。

この2-3週間ほど前の時点では、流行が急激に拡大していたイタリアとの国境の閉鎖を検討していた他のヨーロッパ諸国に対し、EUの原則に則って国境を超えた移動の自由を確保するよう各加盟国に呼びかけていたフランスでしたが、他国と比べても早い段階で厳しい移動制限が国内全土で行われるというやや皮肉な結果になりました。

外出制限の実施が発表された3月16日の大統領演説

下に、Santé publique Franceのデータを元に作った1日あたりの新規感染者数、新規死者数のグラフを載せてみました。フランス連帯・保健省のページで日報が紹介されていますが、それぞれの日の感染者数・死者数などがデータとして公開されています。

これを見ると、外出制限が実施されるまでの間感染者数・死者数ともに右肩上がりに増えており、今後の感染者数の急増を抑えるために外出制限を導入せざるを得なかったという実態が見えてきます。

Santé publique Franceより